幸撞球場
内幸町 幸ビル2階
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幸撞球場は麴町区内幸町1丁目(現・千代田区)の幸ビルにあった。
(995夜)
1月21日(月)池田忠雄と国技館〈春場所千秋楽〉に行く武蔵山は玉錦に勝ち 双葉山 男女の川に惜敗すともによしのち 松しま どうとんぬ など池忠泥酔(小津安二郎日記「1935(昭和10)年」)
運動具店の美津濃ですが、矢張り時勢で二階に喫茶部を設けました。スポーツ流行、且つ学生街のことで、それらの人で何時も繁昌、女学生連もこゝへはよく来ます。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
駒込神明宮社伝に云く、文治五年〔一一八九〕右大将頼朝公奥州征伐のとき、霊夢のことありけるその朝、このあたりに社地を求め索りしに、一松株の枝に大麻のかかれるあり。公これを拝したまひ、これ霊夢の応なりとて、すぐにその地に神明宮を勧請すと云々。その後多くの星霜を経て破壊におよびしを、慶安〔一六四八-五二〕の頃、堀丹波守利直再興あり。例祭は九月十六日なり。(『江戸名所図会』巻之五 玉衡之部)