BUNGALOW
No.125 MOTOMACHI 3-CHOME
YOKOHAMA
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レストラン・バンガローは横浜市中区元町3丁目にあった。
(602夜)
二月二十七日 火 晴雪子誕生日。松屋でChocolate Ringを求め、夕食の時出す。「改造」へ原稿「学位について」送る。平田君、うずら豆、とら豆の斑紋につき手紙よこす。けさの夢、ドイツ、猫の鳴くはがき、財布に銅貨とスペイン貨幣、金がなくて困る。日本料理宴会場、ふとんの綿をぬく学生、石本君に金を借りようとする。(寺田寅彦日記「昭和九年」)
2月23日(金)母を恋はずや 本読み夕方より 野田 陶山 清水 荒田と新宿帝都座に山中の鼠小僧を見るのち 太助にてとんかつ千疋屋にて グレープジュース まことにうまし(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)
2月16日(金)4時の急行で帰る浜に下車 蒲田に電話して野田 荒田とCaliforniaに行く伊勢佐木町不二屋により帰る(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)
こゝの特に目立つのは白い支那土塀の立派なことです。料理も凝ったものを食べさせますが、一寸手軽に這れぬ家です。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
パン店の永藤とは独立して仏蘭西風の瀟洒な二階建で、殊に二階の部屋は落着きがあります。まあ新宿の中村屋と云った格ですが、中村屋よりも明るく色彩に富み、少女女給の藤色揃ひのドレスも似合って、こゝは上野界隈の学生連に大きい魅力があるやうです。のみならず一般家庭連れにも這入りよい。無論ノーチップ。プレートランチ(三十五銭)、スペシャルランチ(八十銭)。喫茶、菓子等。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
2月12日(月)目医者に行くひとり伊東屋にて鉛筆など買ひぶらぶら日本橋うらの古道具屋など見て帰る◉獅子頭 夜寒の店にならびけり(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)
上野で最も古い、又大きいカフェー。三階建の華美な堂々たる構へであり、前身西洋料理であったゞけ、料理も相当食べられ、一寸した会合などにも適します。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
食堂デパートの前にあり、入口は浮彫で装飾された立派な構へ、階上がやはり婦人同伴者の別室になってゐて、入口も別に歩廊式の奥まった階段から上るやうになって居ますが、前記エデンと云ひ、恰度小美術館と云った作りは流石に美術の上野に相応しく、外には一寸見られない園で、或はお馴染の美校生でもデザインしたのかも知れません。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
萬盛庵の角を曲って右側にあります。正面硝子張りの新時代の建築様式もスマートな気持のよい喫茶店。若い人達に特に人気があります。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
2月6日(火)大森の東月荘にて審議会車で野田高梧と銀座に出てフレーデルマウスにてビールいろいろ語る水久保澄子 退社(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)
二月四日 日 晴朝、藤島画伯を訪い、浜口喬夫の就職の件依頼。日本劇場五階で福島コレクションのドラン、マチス、ピカソ、ウトリヨ、ルオー諸作を見る。日比谷劇場で映画見物。昼飯に銀座三越で、コーヒーの中へおつり25銭を投げ込んだ。十銭二枚は容易に匙ですくい出したが、五銭はなかなか出ないので、いちごの皿にコーヒーを明けて出す。石井柏亭氏に喬夫の口依頼状出す。(寺田寅彦日記「昭和九年」)