KETEL'S RESTAURANT
GINZA NISHI 5CHOME
* * *
ヘルムート・ケテル*のケテルス・レストラントは、京橋区銀座西5丁目(現・中央区銀座5丁目)にあった。
(329夜)
*飲食店経営者。ドイツの軽巡洋艦エムデンの厨房兵として青島へ赴き、第一次大戦で日本の捕虜となった。大戦終結後に日本人女性と結婚し、銀座でケテルス・レストラント(平成16年閉業)、バー・ラインゴールドを開業した。
五月二十二日 日 曇、後晴三越昼食。赤坂すず木で球。円地君Vossische Ztg. を送りくれたれど捜す記事見えず。(地震の光に関する自分の説が出ている由、河野君から小宮君へ通知があったので円地君に同紙の事聞き合わせた結果。)金原君より原稿来。◎組閣大命斎藤子に下る。(寺田寅彦日記「昭和七年」)
五月二十日 金航研。帰途、モナミで松根と連句。二の裏三句目を作るため松根と数寄屋橋までバス同乗。新田で球。十時半コロンバンへ行く。松根、四句目持参。(寺田寅彦日記「昭和七年」)
五月十八日。快晴。南風はげし。(中略)烏森停車場裏手に清月といふ飲食店あり。鮓または和洋の料理菓子をも売る。毎夜深更諸処の女給あつまり来る処なり。葵山子と共に立寄りて茶を喫す。紅茶一碗五銭。サンドイツチ二十銭にて品質悪しからず。廉売一驚すべし。(永井荷風 断腸亭日記「昭和七年」)
5月16日(火)▲朝荘司の風呂に入る ライスカレーを食ふ別に帰るに故里のない東京っ子には何とはなしのこのお上り趣味がよい▲松の花がほの白く見える五月闇(小津安二郎日記「1933年(昭和8)」)
五月六日 金航研。モナミで松根を待つ。きたらず。横浜より電話で、おそくなるから銀座千疋屋へ来いとの事で、美松で夕食後同所へ行く。金沢行き自動車で句帳を落とし、詮議のためおそくなりし由。(寺田寅彦日記「昭和七年」)
バージャポンは銀座のバーのうちで一番広い店である。内部装飾も立派だし、照明の具合もよく、ちょっと船のサルーンのやうな感じである。そして、ここには、不思議なくらい面白い感じの女が出没する。(小松直人『Café jokyû no uraomote』)
五月一日 日 晴暖気暑し。昼前、しんとばら新に行く。ばらはまだ開かず。つつじ、ぼたんのみ。上野精養軒藤棚下で昼食。美術館で郷土芸術展を見る。メーデーにて警戒厳重。松坂屋より地下鉄で三越まで行き、また松屋へ行き、つつじの鉢二つ買う。築地で球。夜、円地君きたり、村上氏との交渉につき話を聞く。(寺田寅彦日記「昭和七年」)