CAFE
SHINBASHIEKI KITAGUCHI
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カフェー・エムデンは芝区新橋1丁目(現・港区)にあった。
(451夜)
九月二十三日 土午前、タクシーにて出社。午後、妹尾来。読売記者矢澤来。藤田鈴朗来。夕、タクシーにて帰る。るすに、農大生来りし由。出なおして西銀座樽平の法政の先生の会に行く。(内田百間日記「昭和十四年」)
九月二十日 水午後、十七日に書きかけた菊の雨の続稿二枚にて終る。夕、迎えの自動車にて明治製菓の講演会に行く。「目と耳の境界」*。銀座の中央亭にて晩餐の招待を受け、自動車にて送られて帰る。(内田百間日記「昭和十四年」)
まぐろ鮨一つ十銭。多少より好みをすると一つ十五銭、二十銭云った相場。懐の淋しい時には滅多に近寄れませんが、鮨党をもって自任する諸君の一度は是非食べなければならぬところです。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
九月十三日。時〻細雨あり。午後小山書房主人来談。すみだ川復刻本に挿入すべき風景画及写真を渡す。燈刻銀座食堂に飯す。街上杉野氏に逢ふ。松島屋眼鏡店にて老眼鏡の修繕をなさしむ。今まで遠視十度なりしを八度となす。(永井荷風 断腸亭日記「昭和十年」)
堂々たる三階建の新築が、その繁昌を表してゐます。まあ牛屋としてはこの辺の出世頭でせう。昔ながらの姐さんが忙しさうに階段を上り下りする姿も見られますが、一階には軽便な腰掛食堂が出来ました。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
九月十日。南風烈しく時〻雨あり。終日米国公使ハリスの日本駐箚日誌を読む。風雨晩晴。月あきらかなり。旧著すみだ川復刻の序を草して小山書店に郵送す。銀座カッフェータイガ突然閉店。森永菓子店その後を買取りしと云ふ。(永井荷風 断腸亭日記「昭和十年」)
銀座方面から新橋を渡って二つ目の左角に在って、古くからの新橋の一名物、最近区画整理で店も芝居の舞台好みに粋な構え、『柏莚の和事に似たり白牡丹、松莚』とある左團次丈の、一幅が懸っている。(時事新報社家庭部編『東京名物食べある記』)
大阪喜久乃家直系の家で、云ふ迄もなく関西料理。一品二十銭乃至三十銭程度ですが、驚くのはこの家の雑作で、全部大阪から取寄せ大工、左官は勿論、砂壁まで大阪から運んだと云ふ凝り方、階上も畳敷きの広間のほかはボックス風に小さく仕切った腰掛け式です。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)