毛で作る最良品 日本毛織会社製
(543夜)
12月29日(金)皇太子 継宮明仁親王と御命名夕方清水から電話でヱスキモで会ふ それから提灯行列を見に宮城前に行って 松しま 千疋屋によってかえる来年から小説をかく勉強としようと思う皇礼砲のひびくのを聞いて昼寝 まことに気持よし(小津安二郎日記「1933年(昭和8)」)
「――ちょっと首をかしげ、そして自分の見たというハムレットを語った。「わたし日本へ来ましたとき、水谷八重子のハムレットを見ました。たいへん、たいへんきれいなハムレットです。よくやりました。わたしガールさんのハムレット好きです」と、ニコニコしながら、明るい笑顔で話した――」(石井花子『人間ゾルゲ』)
12月3日(日)▲BVRのグロッシーをかって帰ってから焼付けてみる うまくいかず▲揚出しのさむざむとした座敷に不忍の薄日の当った池をみて一人侘びしく酒のまんかなと思ふ(小津安二郎日記「1933年(昭和8)」)
十二月初二。空晴れわたりて雲なし。午前Georges Duhamelの小説深夜の懺悔を読む。午睡晡下に至つて覚む。故知十翁の遺集鶯日を繙く。燈刻出でゝ銀座に飯す。陰暦十月十五夜の月鏡の如し。此夜土曜日なれば銀座表通の雑沓を避け裏通を歩みて喫茶店きゆうぺるに至る。(永井荷風 断腸亭日記「昭和八年」)
十一月二十五日。今日も好く晴れたり。読書の外為すことなし。日の暮るゝを俟ちて銀座に往き、不二アイス屋にて夕餉を食して後紅茶をキユウペルに喫す。酒泉萬本山田樋田杉野竹下の諸子在り。酒泉君知る所の某令嬢と千疋屋に入り盆栽及び熱帯産小魚を観る。小魚の価貴きもの八九拾円、廉なるものも五六円を下らず。菓子屋青柳にて名物の金鍔を焼くを見、之を購ひ〔三個拾銭也〕きゆうぺるに還る――(後略)(永井荷風 断腸亭日記「昭和八年」)
十一月二十三日。好晴昨の如し。(中略)読書昏暮に至る。出でて銀座風月堂に飯し喫茶店きゆうぺるに入る。毎夜の諸子来会すること毎夜のごとし。帰途また佃茂を過ぐ。主人の愛養せし木葉木兔一昨暁死すと云ふ。戯曲源氏物語〔某子作築地劇場部員上演ノ筈〕上演を禁ぜられしと云ふ*(永井荷風 断腸亭日記「昭和八年」)
十一月十四日。くもりて暖なり。植木屋来り屋後に掃寄せたる落葉〔去年より日々掃寄せしもの〕を門外に運び、荷車に積みて芝赤羽橋芥捨て場に往く。(中略)晩餐の後銀座に往く。亀屋にてコゝア一鑵を買ひ喫茶店きゆうぺるに憩ふ。酒泉萬本高橋竹下樋田歌川の諸子に逢ふ。帰途また烏森の佃茂に入りて笑語す。夜漸く寒し。頃日市内舞踏場に出入する男女の検挙盛に行はる。齋藤医学博士**妻、近藤廉治〔近藤廉平男〕の妻〔樺山伯の女〕等、警察署へ呼出されしと云ふ。(欄外朱書)舞踏場検挙名家ノ夫人多ク捕ハル(永井荷風 断腸亭日記「昭和八年」)