朝だ、体操だ、ラヂオが起きた、肉声朗カ 一二三
マツダ真空管
日本放送協会認定ラヂオ指定販売店
尾久町 東電アト
* * *
大正14年にラジオ放送を開始した東京放送局(JOAK)・大阪放送局(JOBK)・名古屋放送局(JOCK)は、翌15年から社団法人日本放送協会となった。
昭和3年には、札幌放送局(JOIK)・仙台放送局(JOHK)・熊本放送局(JOGK)・広島放送局(JOFK)が放送を開始した。同年11月に、東京中央放送局で朝のラジオ体操の放送が始まった。
(025夜)
昭和14年6月18日午後から、なぜか品川へ行く。暑い日盛りの道路をただ歩く。「大阪商船新造船あるぜんちな丸 世界一周祝賀披露」とある。遠くから眺め、浦島橋を渡り、札の辻橋に出た。そして高輪の泉岳寺にお参りする。生れて初めて来たのだ。大勢の田舎の女学生にまじって、四十七士の墓を廻る。たちのぼる香煙。品川や馬糞はなるる白き蝶(吉岡実『うまやはし日記』)
その時(主計さん*もスプーンで一口二口スープを飲んで、ああおいしいと思ったのか)「スープを作るコックさんがね」と笑いながら言い出した。「仕事熱心で、時々スープをとるにはもったいない、いい肉をかすめてサッと掏摸(スリ)のように盗んで、スープストックをつくる鍋にぶちこんでしまうんですって」「じゃあ、今日のこのスープ、きっと掏摸の収穫で出来ているのだわ」と私も笑った。(三宅艶子『ハイカラ食いしんぼう記』)
私は近頃、日本でこのんで建てるあの物質的な堅く寒い機械的な建築を見る度びにあまりになさけなくなる。これ等については後に私の所感を少しのべようが、とも角かかる中にあって松坂屋の建築は如何にも和やかに見える。色も線も細かい、刻りも中々にいい。四月末の空の中に美しく建つその屋上には、鯉のぼりが二つへんぽんと泳いでいた。(岸田劉生「新古細句銀座通」)