宮内省御用達
中央亭飛行館支店
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中央亭飛行館支店は芝区田村町1丁目(現・港区新橋1丁目)の飛行館*にあった。
(967夜)
*現・航空会館(昭和53年竣工)
郊外カフェに相応しい、気持のよいおちつきを持ったよきカフェである。(小松直人『Café jokyû no uraomote』)
アザミは地震前から東中野の駅のそばにあった。内外ともクレオソート塗りの、気の利いた家だ。壁には小さなコブランまがいの壁掛けなどがかかっていた。(小松直人『Café jokyû no uraomote』)
原稿がとりだされたのはまだみんなが正式にテーブルの席につくより前だったような感じ。みな自由に立ったりかゞみこんだりしてそのトランクをかこんでいた。そしてやがてふとトランクのポケットから小さい黒い手帳がとりだされ、やはり立ったり座ったりして手から手へまわしてその手帳をみたのだった。(永瀬清子「雨ニモマケズの発見 「モナミ」の賢治追悼会」)
2月15日 日午後、邦楽座で映画「モロッコ」を見る。近来にてのおもしろき映画なり。(寺田寅彦日記「昭和六年」)
又或時父と精養軒へ行ったら何かの会合の為に一般の客を謝絶した。山下の方へ父について降りながら「どこへ行くの、富士見軒もなかったらどこへ行くの」と頻(しき)りに聞いたら父は「富士見軒が休みなら横浜へ行く、横浜にもなかったら洋行する」と云った。(森於菟「時時の父鷗外」)
二月五日 日 晴朝、芝君来。就職の件。宇田道隆君「滄溟詩集」持参。岡上さん、今井さん、弥生、雪子とヤマトで昼食。(寺田寅彦日記「昭和八年」)