水族館
浅草公園
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水族館は、明治32年10月に浅草区浅草公園四区(現・台東区浅草2丁目)で開業した。
(663夜)
四月二十七日 金 晴昼前、上野の国展に藤田太郎氏が郷里の宅の庭の紅葉を描いた「秋庭」というのを出していると、登石善二氏のはがきで知ったので見に行く。昼から日比谷劇場で「生活の設計」を見る。4h30モナミで松根と会したが、早慶戦で負けた早稲田の学生が押し込んであばれるので連句は中止。東宝劇場を見に行く。(寺田寅彦日記「昭和九年」)
四月二十二日 日 快晴朝、鳴海要吉君来。十一時から弥生、雪子と三人でドライブに出る。松坂屋で弁当、フィルム、地図を求め、草加、越谷、粕壁の河畔桃畑で昼食。岩槻近くの荒川畔の桜を見る。大宮、氷川神社の桜にぎわえり。川越より入間川を経て所沢から帰京。行程89マイルぐらい。天気快晴、風も弱く、少し暑さを覚ゆ。越谷方面は菜の花盛り、桃もところどころにあり。入間川方面には山桜多し。入間川の谷は美しい。武蔵野も方面方面で景色に特色がある。(後略)(寺田寅彦日記「昭和九年」)
四月十八日 水 晴高嶺君*と風月昼食、大学新聞記者扇谷君**きたる。「科学の学生のために」七枚執筆を約す。(寺田寅彦日記「昭和九年」)
四月十四日 金昨日から頭痛く重し。大掃除。午、「頬白先生と百鬼園先生」の序文を書いた。午過、村山来。午後、東炎雑俎の原稿散財将棋を書いた。三枚。北村三郎来。一緒に有楽座へ行き、「百鬼園先生」を見た。帰りにエイワンにて夕食。三郎送って来た。(内田百間日記「昭和十四年」)
四月七日 金午後、新潮社長沼玄関迄来。装丁の件也。几辺雑用。散髪に行きて東京会館の夏目純一さんの帰朝のお祝の会へ廻る。帰って見たら新京の北村三郎が来ていた。(内田百間日記「昭和十四年」)