Please make the "Willow" your hat-rack,
Try the "Willow" once and then
you will always hustle to the "Willow"
ういろう 新宿駅前森永裏
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茶房ウィローは淀橋区角筈1丁目(現・新宿区新宿3丁目)にあった。
(877夜)
経営者は長松凌氏、支配人は佐伯尚雄氏、企画宣伝方面は平林淳助、藤山於菟両氏が担当し、教授部には末広咸雄、大八木一正、山本洋雄の三氏がいる。(中略)バンドはテイトジャズ、タンゴオーケストラの二組を持ち、他にダンサーに依って組織されたミス・テイト・オーケストラ(楽員十名他に補欠を置く)がある。(水島芳静『大東京と郊外の行楽』)
経営は合資組織で代表者は植木三郎氏、教師には東栄次郎、棒葉覚四郎、毛塚一郎氏他二名、バンドは東洋一と誇るテディ・タビヤ楽長指揮のジャズバンドと、伴薫楽長指揮のタンゴバンドの二組他三組――(水島芳静『大東京と郊外の行楽』)
こゝの経営者は本多長利氏、支配人が菅原英二氏、教授部には田沼清、若林政雄、横山龍夫、鈴木華枝、原夏江、加園静子の諸氏があり、(中略)バンドは昼が岡崎ダンスアンサンブルで、タンゴとジャズの二組、サービスタイムは、アコーデオン伴奏、夜は日米ジャズオーケストラの他、我が国嚆矢として誇る本格的タンゴたるオルケスタ・ティピカ・ニチベイの二組――(水島芳静『大東京と郊外の行楽』)
経営者は宮井芳太郎氏、山元博氏を支配人に、教授部は田淵芳樹氏を主任に村上十九二、伊藤貞雄の諸氏が当り、バンドは川崎ジャズオーケストラ、平塚タンゴバンドの二組――(水島芳静『大東京と郊外の行楽』)
こゝは昭和六年の創業、株式組織で本多長利氏を社長に、林郁郎氏が支配人、教師は武井春雄、吉田誠三、婦人教師としてルボーフの三氏が当り、バンドは岡崎ダンスアンサンブルで、タンゴは岡崎氏指揮、ジャズは村井氏の指揮である。(水島芳静『大東京と郊外の行楽』)
昭和14年11月23日夜になって雨。春陵さんと雷門前の珈琲店ブラジルへ行く。ここが句会の席だ。七時半ごろ「白鵶会」のめんめん、油桃、龍灯城、千鶴、春夢、昌臣、行宇、四季男(小生)と集う。コーヒー、サンドイッチをとりながら、互選となる。結果、びりになりがっくり。会費五十銭はやすいと思った。水果物を食べ、十時散会。珈琲をのみこぼす愁ひ白卓に(吉岡実『うまやはし日記』)
11月22日(木)浮草物語 封切夕方一寸丸の内松竹に行ってみる飯田蝶子 上山草人に会ふドウトンヌ→都川 のち吉川満子も来る かあやん酩酊のために 茂ちゃんにアリバイ一札をかく(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)
11月21日(水)この日 検閲三ヶ所 6メートルCut夕方ぶらぶらと蒲田の床屋まで行くキャンデーで紅茶とホット・ケーキ(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)
十一月十四日 水 晴理研講演会第一日。夕、中谷君と東京会館、後、帝劇で「北進日本」見る。山脇敏子夫人の弟、先日自動車で負傷したのが危篤となりし由。(寺田寅彦日記「昭和九年」)
十一月十三日 火 曇、後少雨朝、東一帰京。昼、小宮、松根と竹葉に会す。夜、錦水で「科学」の編集会。(寺田寅彦日記「昭和九年」)
二人はその角にある西洋料理屋へ入った。その時彼はその門口から射す強い光を浴びた男と女の顔を横から一眼見た。彼らが停留所を離れる時、二人連れ立ってどこへ行くだろうか、敬太郎にはまるで想像もつかなかったのだが、突然こんな家へ入いられて見ると、何でもない所だけに、かえって案外の感に打たれざるを得なかった。それは宝亭と云って、敬太郎の元から知っている料理屋で、古くから大学へ出入をする家であった。(夏目漱石『彼岸過迄』)
客は矢張り付近の学生連が一番多く、次は女学生や、若い婦人達と云った順序です。給仕の少女達の蝶の如く快活なのも感じがよろしい。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
十一月四日 日 晴午前、谷中坂町大地堂へ藤田太郎氏の「秋庭」の額縁注文18y.博物館で伎楽、舞楽、行道、能楽の面の陳列を見る。美術協会で朝鮮工芸美術展見る。上野地下室みやこ[i.e. みかど]昼食。日比谷劇場満員ゆえ断念帰宅。田中信君、快気祝いの赤飯持参。(寺田寅彦日記「昭和九年」)
十一月三日 土 明治節 晴朝、竹崎を訪い、子息の就職についての和田所長の紹介名刺を持参。銀座竹葉昼食。帝劇「母の手」と「テナシチー」。日比谷堀端の柳に緑見ゆ。夕方、庭にうぐいすの笹鳴きを聞く。壁塗り数日前より工事中。きょうは内玄関付近。(寺田寅彦日記「昭和九年」)
運動具店の美津濃ですが、矢張り時勢で二階に喫茶部を設けました。スポーツ流行、且つ学生街のことで、それらの人で何時も繁昌、女学生連もこゝへはよく来ます。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
十一月一日 木 雨朝、松坂屋で散髪。昼、はい原で著書装幀用の紙見本数種求む。しん、大谷健子とカブキ座行き。風強し。青楓の画展目録序を書く。「触媒」初校終了。(寺田寅彦日記「昭和九年」)