ギンブラニテンプラ テンクニノテンプラ
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3月31日(土)赤羽小学校に行って廊下撮影天国にてめしフタミに寄って帰る ライカ故障にて 過日のものうつらず会社から 電話にて明日公休にする由入浴(銀座界隈)(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)
(633夜)
3月31日(土)赤羽小学校に行って廊下撮影天国にてめしフタミに寄って帰る ライカ故障にて 過日のものうつらず会社から 電話にて明日公休にする由入浴(銀座界隈)(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)
3月29日(木)▲雪 霊南阪ロケーションアメリカン・ベーカリーによって帰る セットライトのため中止▲淡雪や長門の干菓子薄茶かな(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)
三月十九日。快晴。春風嫋〻たり。午後起床。庭の落葉を掃ふ。野生の福寿草花あり。晡下オペラ館に遊ぶ。カフヱー・ヂヤポンに一茶して夜半にかへる。燈下葛飾情話の稿成る。(永井荷風 断腸亭日記「昭和十三年」)
入口の柿色のれんも関西風に小粋気な構へで、土間通路の両側が小座敷になって居り奥には本格的の座敷が澤山あります。如何にも京都風と云った感じ、料理も気のきいた小料理がいろゝゝ出来て、自分の好きなものを註文すればよく、馴れると随分経済に美味しいものが食べられます。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
三月十七日。今日も霽(は)れず。風亦(また)冷なり。隣家の梅花満開なり。道源寺阪下西光寺の庭にも梅花星の如し。夜銀座に飯す。不二地下室に至るに電報通信社〻員宮崎氏北支戦場より帰来るに逢ふ。其談話をきく。(永井荷風 断腸亭日記「昭和十三年」)
仲店から六区へ抜ける大通りに面した角の大店で、所謂そば屋の感じから抜けて明るく広く、綺麗な椅子、テーブルが並べてあります。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
ある日曜日の朝顕著な不連続線が東京附近を通過していると見えて、生温かい狂風が軒を揺がし、大粒の雨が断続して物凄い天候であった。昼前に銀座まで出掛けたら諸所の店前の立看板などが吹き飛ばされ、傘を折られて困っている人も少なくなかった。日本劇場の前まで来て見ると、さすがに今日はいつもの日曜とちがって切符売場の前にはわずかに数人の人影が見えるだけであったので急に思い付いて入場した。二階の窓から狂風に吹き飛ぶ雲を眺めながら考えるともなく二十年前に見たベルリンのメトロポール座のレビューを想い出していた。(寺田寅彦「マーカス・ショーとレビュー式教育」)
三月十三日 日曜日 小雨ふりて寒し。夜オペラ館楽屋に至りヤジ屋の大谷といふ者の来るのを待つ。ヤジ屋と称するは看客席より奇声を発し俳優の演技を声援するものを云ふ。五六年前最盛にして今は稍(やや)すたれたるなり。明治時代娘義太夫をひゐきにせし堂摺連の如きものなり。大谷といふは本所三目辺の鍛冶屋の倅なる由。この夜大谷に案内せられ文藝部長小川氏と共に弁天山の小料理屋丸留といふ家に至り其経歴談をきいて夜半に及ぶ。更にハトヤ喫茶店に少憩してかへる。空猶(なお)霽(は)れず。春寒料峭たり。(永井荷風 断腸亭日記「昭和十三年」)
3月2日(金)明菓に行ってセットのプランを立てる神谷町の道具屋に行ってパイプセットをさがすのち五十嵐で天ぷら 清水 原 根岸と同行ヱスキモで又してもグレープ・ジュウス(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)
三月一日 土 晴 温大学は記念日。理研。昼食約により松根君とデルモニコにて。コロンバンで喫茶、連句二三。襟巻を忘れ帰る。理研で黒田君と地殻変形につき話す。しん、新橋演舞場。きさらぎの海に色負け磯馴松(そなれまつ) 東洋城防風の茎の寸の紅 寅日子春寒きなますの魚の骨抜きて 同(寺田寅彦日記「昭和五年」)