Olympic's
CANDIES CAKE
LIGHT LUNCH & PROVISION
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オリムピック尾張町支店は京橋区銀座5丁目(現・中央区)にあった。
(298夜)
四月二十二日 金 晴航研、連句、球、例のごとし。連句締め切りに間に合わすため、朝一度新宿三越で松根と会し、夕、モナミで一巻を完了。下北沢植木屋で三つ葉芝二本買う。(寺田寅彦日記「昭和七年」)
四月十日 日 晴昼前、末広君へ焼香に行く。石本君から外国電報と弔詞の起草頼まる。午後、銀座より目黒雅叙園なる岩波君の晩餐会へ行く。小宮、安倍、森田、野上、高橋、谷川、茅野諸君来会。偶然順も他の会にて来合わす。(寺田寅彦日記「昭和七年」)
四月九日 金午後、佐藤春夫氏を訪ふ。唐助の早稲田腰掛けの月謝の内、五十円借りて来た。夜、夕食後東朝航空部へ行き、神風号の倫敦着の報をきき、午前二時帰った。午前より午後にかけて先月の中央公論に乗り遅れた原稿「二銭紀」の校正をした。(内田百間日記「昭和十二年」)
四月初一〔旧二月二十六日〕晴れて風静なり。午前読書。午後中洲病院に往き脚気注射をなす。いつもの如く清洲橋をわたり、仙台堀の河岸つたひにやがて曲りて黒亀橋電車通に出でたれば、深川公園の裏手を流るゝ油堀の北側をまっすぐに東の方へと歩む(中略)——此横町より汐見橋際の大通に出るに春の永き日も暮果てたれば、乗合自動車にのりて銀座に至り、いつものごとくオリンピク洋食店に飯す。銀座通の商店植柳の祝をなすとて飾物をなし人出甚しければ裏道を歩みて帰る。(永井荷風 断腸亭日記「昭和七年」)