茶寮
芝田村町三
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坊ちゃんは芝区田村町3丁目(現・港区新橋3丁目)の赤レンガ通りにあった。
(482夜)
10月30日(水)出社秋晴れ 伏見と床屋に行く あとより池忠来る 一人有楽町下車 伊東屋 松屋により鉛筆を買ふ早く帰宅 入浴少年書を読むに懶(ものう)く 三十にして業由(な)ほ未だしと寒山詩にある百年の知己を得たと云ふべし(小津安二郎日記「1935(昭和10)年」)
10月28日(月)出社 秋晴れなれど風やゝ強し 衣装調べ夕方より車にて池忠 荒正と共に宮川のちに銀座に出てヱスキモにてオレンヂ・ヂウス林芙美子 牡蠣寺田寅彦 蒸発皿滝井孝作 折柴随筆早慶一回戦四対四の接戦にて引分けとなる バッテリーは 若原→鵜飼 土井・楠本→桜井也(小津安二郎日記「1935(昭和10)年」)
10月26日(土)早慶戦を見んものと 早朝車で新宿のちぇりおに切符を貰ひに行く久々に岩下為次郎に会ふ 共に十二時過ぎ出かける 三回まで 早稲田無死満塁の好機にしかも小島を迎えて降雨のため中止出社帰りに一人新橋に下車 たくみ屋→伊東屋 ノートとフイルを買ひ帰る兄 銀行の旅行にて水上行(小津安二郎日記「1935(昭和10)年」)
10月20日(日)野球見物に行きたる 橋本 奥山と二時半東京駅にて会ひ 金川 吉田と五人new grand→ちぇりお→浜町浜のや武富来るぶらぶら東京駅迄あるき九時にて両君帰るのち橋本の弟と不二あいす 更に筈見恒夫 岸松雄とルパン→新橋 茶漬(小津安二郎日記「1935(昭和10)年」)
10月19日(土)野球見物七時起床 丸美屋で大阪寿司を買ひ外苑に出かける柳井 浩将 荒田と同席慶応対立教 5:1早稲田対明治 6:2ともに面白からず来る筈の池忠 風邪心地にて一日静養との事也のち出社 配役相談八時霊岸島に橋本泰太郎 奥山正次郎着く 両君の賢弟と吉田与三と共に銀座うら若作久に行く(小津安二郎日記「1935(昭和10)年」)
10月18日(金)二時丸善で会ふ 池忠 荒正 良輔 浩将八重洲園で小憩ののち荒正と本社に行く〈東京の宿〉試写会板垣鷹穂 新居格 大木惇夫 立花高四郎 北川冬彦 谷川徹三 村山知義窪川稲子 林芙美子 楢崎勤 山根氏 出席 のち芳蘭亭丸の内松竹にて 永久の愛後篇を見る東京湾汽船に行ってみたが 橋本 奥山来らず 帰って 入浴(小津安二郎日記「1935(昭和10)年」)
十月十三日 木午後、東日の原稿書きかけた。夕、助来。文藝春秋「話」の座談会に池の端の雨月荘へ行く。帰りに大森桐明へ寄る。十一日に頼んだ素琴先生にお金を借りる件、百五十円を百円にして承諾された由。大いに有り難い。(内田百間日記「昭和十三年」)
ズラリと電燈で軒を飾り、一方は江戸ッ子好みの屋台風になって、たち食ひも出来る洒れた構へ。以前活動の弁士華かなりし頃は、映画人の人気を集めて、よく有名無名の弁士諸君がこゝの屋台でぱくついたもので、こゝのオタチはまた格別うまいと評判でした。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
十月七日 金 曇朝、岩波君来。夜、上野精養軒で助手諸氏と晩餐。帰途、上野広小路菊屋で十時過ぎまで話す。(寺田寅彦日記「昭和二年」)
10月6日(日)正午より大船撮影所にて監督会議あり所長 島津 清水 五所 斎藤 佐々木 野村 野田 北村 伏見 池田 柳井 荒田 良輔 吉田 古田 野口 栗原 十九名のち浜の磯子園にて会食 閉会ののち所長大阪にたつ小松ちゃんのだっとさんにて荒田と三人 にう・ぐらんどの酒場→さまある→きよⅢ→きよⅠに立ち寄り帰る(小津安二郎日記「1935(昭和10)年」)