BAR AOI GINZA
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加藤好美のバー・葵は京橋区銀座6丁目(現・中央区)にあった。
(359夜)
6月22日(土)曇天なれバ ろけゐしょんは中止なり茂原英雄と歌舞伎座に六代目を訪ね鏡獅子について打ち合せなす のち天国帰って小料理のせっと 坂本未だ調子出ず難渋なり 小生も亦同様こゝ漸く雨気はらみ空重く入梅に入りたる模様也(小津安二郎日記「1935(昭和10)年」)
六月十九日。晴また陰。隣家の卯の花ひらく。午後堀口大學氏来訪。溽暑昨の如し。燈刻[七時過]銀座通藻波に飯す。(永井荷風 断腸亭日記「昭和十年」)
松坂屋の横にある。家具のいいバーは、ユングフラウなどが銀座でははじまりの方だった。静かに酒の飲める店である。(安藤更生『銀座細見』)
六月九日 日 晴弥生、雪子と上野精養軒藤棚の下昼食。深川清澄公園へ行く。一銭蒸気で吾妻橋まで、それより地下鉄で銀座まで。ニューグランド喫茶。夜、しん、雪子、有楽座行き。(寺田寅彦日記「昭和十年」)
6月8日(土)終日うち早慶一回戦 三アルファ対二早稲田一勝なれど凡戦 凡打凡失熱なく終始す早稲田 若原→鵜飼慶応 土井→桜井夕方霊岸島に橘丸を吉成と見に行く仏法僧の放送を聞きながらぶらぶら銀座まであるく 門により帰る(小津安二郎日記「1935(昭和10)年」)
そこは名前のように扉をあけると、全体が白(ブランシュ)と赤(ルージュ)に統一されていた。壁は白。卓子と椅子は木の部分が白、シートは赤い革(その頃も模造の革はあった)、食卓には赤い花が白の花瓶にいけてある。灰皿も白い陶器に赤い細い縁がとってあった。その赤の色が、ほんの少し朱がかったヴァーミリオンという色で、赤いどぎつさがない。(三宅艶子『ハイカラ食いしんぼう記』)
テアトル・コメディ*のプログラムを見ると、「ヤング軒」という床屋さんの広告がある。(中略)公演のたびにプログラムに大きな広告を出してくれ、男優も女優も役柄に合った髪型にカットしてくれるのだった。(長岡輝子『ふたりの夫からの贈りもの』)