満洲料理
日本橋交叉点
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満洲料理のヤシマグリルは、日本橋区通1丁目(現・中央区日本橋1丁目)の八洲ホテル内にあった。
(939夜)
一月三十日 水 少雨朝、報公会安田君来。昼、高嶺君と風月。十字屋でグリーヒのペールギントTrio求む。夜、水口さん、坪井君とクロイツァーソナタ。(寺田寅彦日記「昭和十年」)
1月21日(月)池田忠雄と国技館〈春場所千秋楽〉に行く武蔵山は玉錦に勝ち 双葉山 男女の川に惜敗すともによしのち 松しま どうとんぬ など池忠泥酔(小津安二郎日記「1935(昭和10)年」)
ヤシマホテル側で、呉服橋に近い鴻池銀行の地下室の高級洋食堂。新築当時から食堂として作られたもので、地下室ながら天井、側壁その他の装飾は豪奢を極め、気持ちよく落着いて美味しい料理の食べられるのが、こゝの特色で、そこらにある大衆食堂とは自ら色彩が違ひます。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
吸入器や咽喉の薬ボンクーパーでお馴染の久能木本店の奥にある喫茶本位の久能木パーラーは落付いた気分のする店です。上品な感じがする店でアイスクリームの味は格別です。(安井笛二編『大東京うまいもの食べある記 昭和十年版』)
白木屋の七階食堂は明るく、それに給仕の少女が、他の百貨店食堂は全部洋装なのに、こゝは揃ひのはな色和装で、大和撫子らしい感じが出てゐて好評でした――(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
東京に着いて、銀座へ廻ると、仙子はラスキン文庫という店に入った。「これ、奥さんにお土産。」と、そこで買った指環を入江に渡した。燻銀に大きい珠がついている。恐らく銀の細工に趣味があるのだろうけれども、この珠がなんという石か、無論入江には分らなかった。(川端康成「これを見し時」)
一月十日 土午前気象台に行き、藤原君宅にて「気象雑纂」を見せてもらう。午後一時、丸ビル八階ホトトギス社に安倍、鈴木、森田と会し、虚子の案内で丸の内会館に行く。シナ料理にて昼餐、小宮、野上もあとより来たり、夕方散会。」小宮、安倍両君は茅野氏方へ招待され行く。(寺田寅彦日記「昭和六年」)
日本橋柳屋の化粧品部と、食料品部の間に挟まれて、可なり古くからある家ですが、昔から少年ボーイで、ソーダ水を初め、アイスクリーム、一品料理も悪くなく、この辺では白十字のほか、かうした家が少いので一層人気があります。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
天七横町第一相互向ふの天ぷら料理「天七」の横の露路の界隈も一つの小食堂街の観があります。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
一月四日 金 晴帝劇で「クレオパトラ」、「コングの復讐」を見る。夕、不二屋で松根君、安倍君と会し、銀座竹葉食事。(寺田寅彦日記「昭和十年」)
今は新築して他奇(たき)ない店ですが、文藝春秋誌の宣伝によると、明治二年の創業で牛肉屋としての草分け、鍋も美味しいとのことです。牛鍋を愛する人達は、こゝで鍋の古典味を礼讃するのも愉快でせう。(白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』)
一月二日 水 晴きょうもよく晴れ、温かなり。午前、原稿。午後、不二屋喫茶。金城商会で歳末に頼みおきし弥生町時代の写真焼き付けを受け取る。十字屋でトリオの譜f.Jugendのベトーヴェンとシューベルトを求む。夕食後、東一、山崎君を同伴して帰宅、山崎氏帰りて後四人でトリオ。(寺田寅彦日記「昭和十年」)
1月1日(火)箱入娘かみ結ひのとりなほしに元旦 雨とともにあける一同 明菓の二階に鴨雑煮を祝ふ 井田店主の好意による午後 飯田蝶子 坂本武 香取千代子 忍節子 山本氏 御挨拶の途上深川拙宅に立寄らる(小津安二郎日記「1935(昭和10)年」)