ミハト麗苑
新宿 東海通り
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カフェー・ミハト麗苑は淀橋区角筈1丁目(現・新宿区新宿3丁目)にあった。
三越横通りを入った歓楽境の入口にある代表的カフェーと云ふより新宿カフェー界の草分とも云ふべき歴史を持つ店です。外観も余りごてゝゝせず近代的な趣向をこらして好感を多分に与へてくれます。(安井笛二編『大東京うまいもの食べある記 昭和十年版』)
(986夜)
三越横通りを入った歓楽境の入口にある代表的カフェーと云ふより新宿カフェー界の草分とも云ふべき歴史を持つ店です。外観も余りごてゝゝせず近代的な趣向をこらして好感を多分に与へてくれます。(安井笛二編『大東京うまいもの食べある記 昭和十年版』)
郊外カフェに相応しい、気持のよいおちつきを持ったよきカフェである。(小松直人『Café jokyû no uraomote』)
アザミは地震前から東中野の駅のそばにあった。内外ともクレオソート塗りの、気の利いた家だ。壁には小さなコブランまがいの壁掛けなどがかかっていた。(小松直人『Café jokyû no uraomote』)
11月22日(木)浮草物語 封切夕方一寸丸の内松竹に行ってみる飯田蝶子 上山草人に会ふドウトンヌ→都川 のち吉川満子も来る かあやん酩酊のために 茂ちゃんにアリバイ一札をかく(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)
十月二十四日。天気快晴。終日困臥すること毎日の如し。日暮れて後オリンピクに飯す。神代君来る。供に歩みて西銀座裏通に至る。ラインゴルドの店頭にて主人に逢ひて立談す。欧州大戦前一二年頃のベルリンの空気は現時の東京と頗(すこぶる)相似たるものありきと言ふ。(永井荷風 断腸亭日記「昭和七年」)