DANCE HALL
KAWASAKI-SHI No28 FURUKAWADORI
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川崎ダンスホール*は神奈川県川崎市古川通(現・川崎区小川町1丁目)にあった。
経営者は宮井芳太郎氏、山元博氏を支配人に、教授部は田淵芳樹氏を主任に村上十九二、伊藤貞雄の諸氏が当り、バンドは川崎ジャズオーケストラ、平塚タンゴバンドの二組――(水島芳静『大東京と郊外の行楽』)
(872夜)
*昭和7年10月開業(昭和13年末閉業)
経営者は宮井芳太郎氏、山元博氏を支配人に、教授部は田淵芳樹氏を主任に村上十九二、伊藤貞雄の諸氏が当り、バンドは川崎ジャズオーケストラ、平塚タンゴバンドの二組――(水島芳静『大東京と郊外の行楽』)
こゝは昭和六年の創業、株式組織で本多長利氏を社長に、林郁郎氏が支配人、教師は武井春雄、吉田誠三、婦人教師としてルボーフの三氏が当り、バンドは岡崎ダンスアンサンブルで、タンゴは岡崎氏指揮、ジャズは村井氏の指揮である。(水島芳静『大東京と郊外の行楽』)
昭和14年11月23日夜になって雨。春陵さんと雷門前の珈琲店ブラジルへ行く。ここが句会の席だ。七時半ごろ「白鵶会」のめんめん、油桃、龍灯城、千鶴、春夢、昌臣、行宇、四季男(小生)と集う。コーヒー、サンドイッチをとりながら、互選となる。結果、びりになりがっくり。会費五十銭はやすいと思った。水果物を食べ、十時散会。珈琲をのみこぼす愁ひ白卓に(吉岡実『うまやはし日記』)
11月22日(木)浮草物語 封切夕方一寸丸の内松竹に行ってみる飯田蝶子 上山草人に会ふドウトンヌ→都川 のち吉川満子も来る かあやん酩酊のために 茂ちゃんにアリバイ一札をかく(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)
11月21日(水)この日 検閲三ヶ所 6メートルCut夕方ぶらぶらと蒲田の床屋まで行くキャンデーで紅茶とホット・ケーキ(小津安二郎日記「1934(昭和9)年」)